• 蟠龍峡1
  • 蟠龍峡2
  • 蟠龍峡3
  • 蟠龍峡4
  • 蟠龍峡5

悲しい蟠龍峡伝説

元和(1350年)の頃、この村之郷には小笠原長親という領主がいた。その家臣に玄太夫宗利という武士がいた。年若くして大器の才があり、長親は軍師として重用していた。
足利勢との戦いで、最も功績のあった宗利に長親は、恩賞として側室を与え、宗利はその女性を本妻とした。ところが数年後、本妻は疫病にかかり、生まれもつかないほどの醜い顔になってしまった。
その頃、宗利の小間使いに美しい女性がいた。
宗利はその美しい小間使いに心が動き、次第に本妻を疎んじるようになった。本妻はこのことを嘆き、哀しみはしだいに恨みと化し、機をみて小間使いを亡き者にせんと思うようになった。 
ある日、本妻は宗利と小間使いを誘い、蟠龍峡へ散策に出かけた。3人は「明鏡台」の岩頭で一休みすることにした。小間使いが懐から手鏡を取り出して髪のほつれを掻き上げていると、背後から本妻がしのびより小間使いを岩から突き落とした。
小間使いは、鏡に映る本妻のただならぬ気配を察し、落ちる瞬間に本妻の着物の袖をつかんだので、あっという間に2人は滝壺に呑まれてしまった。驚いた宗利が駆け寄ると、2人の女性は龍と化し、悲鳴をあげ、もつれあい争いながら落ちていく姿が見えた。2人の姿が消えたあとには、2人の抜け留まった髪の毛だけが松の枝に残されていた。
宗利はこのことを深く嘆き悲しんだ。蟇田という所まで帰った宗利は、己の罪の深さに堪えきれず、ついに自刃して果てた。
この蟇田には宗利の墓があり、その一帯にあやめの花が多いことから「あやめ塚」と呼ばれ、初夏には、美しい花を咲かせている。不思議なことに、宗利の墓は、いくら立て直しても蟠龍峡の方へ傾くという。

(平成20年5月 比之宮連合自治会作成の看板より)

所在地島根県邑智郡美郷町村之郷349
電話・FAX
営業時間

国道375号線から車で大和大橋を渡り、右折後、大規模林道をしばらく道なりに進んでいくと比之宮(比敷、村之郷、宮内)地域に入ります。

蟠龍峡は比之宮地域の代表的な景勝地です。

吊り橋、ゆるやかな遊歩道が整備されているので、落下する滝、岩と木の織りなす美しい景色を見ながらゆっくりと散策が楽しめます。
10分程度で、下まで降りて滝を見上げることができます。 
散策の際は歩きやすいスニーカーなどでお越しください。また、肌の露出は避け、蛇などにご注意ください。

アクセスマップ